野火止用水・平林寺の文化的景観/安行植木業の文化的景観(仮)
のびとめようすい・へいりんじのぶんかてきけいかん/あんぎょううえきぎょうのぶんかてきけいかん

文化的景観の紹介
1.野火止用水・平林寺の文化的景観
江戸時代前期、新都市・江戸の住民が増加していくと、食料増産と供給が緊急の課題となりました。川越藩主と老中を兼務する松平伊豆守信綱も、領内の新田開発を行い、藩の年貢増収と江戸住民の食料確保を図りましたが、新旧住民の対立を招きます。そこで、低地ではなく武蔵野台地に着目し、新田開発に挑戦しました。
しかし、当時の武蔵野台地は、水も無く土も痩せた原野であり、開拓民は飲用水にも困窮します。そこで、信綱は自らが引いた玉川上水の分水を将軍・家綱に願い出て、野火止用水を開削しました。
この開発の計画性の高さは、街道沿いに用水と屋敷、その裏手に畑、奥に雑木林が配される短冊型の地割からも窺えます。信綱は最後に、一族の菩提寺である平林寺の移転を志し、子・輝綱によって達成されます。
首都近郊の都市化に伴い、雑木林の大半が失われましたが、短冊形地割の畑や屋敷林が数多く残り、野火止用水が育んだ文化的景観を次世代へ継承する取組を行っています。
選定基準:(一)、(三)、(五)
関連サイトURL:http://www.city.niiza.lg.jp/site/bunkazai/
2.安行植木業の文化的景観(仮)
安行には、大都市東京の近郊でありながら、緑豊かな植木畑が広がっています。安行の植木業は元和4年(1618)頃から赤山に陣屋を構えた関東代官伊奈半十郎忠治が当地で植木業を奨励したと伝えられています。植木と共に切花の産地としても知られ、特に「赤山切花」は江戸時代より名高い名産品でした。
産業として大きく発展したのは明治時代であり、アメリカやイギリス、中国へも輸出していました。
また、挿し木、接ぎ木、仕立て、根巻きなどの技術が家ごとに継承されており、無形文化としても高い価値があります。
樹木栽培のための植木畑には多品種が植えられ、安行全体が植物園のようになっています。安行の植木畑の景観は、江戸時代から続き、江戸東京の園芸文化や都市緑化を支えた生業を現在に伝える重要な文化的景観です。
選定基準:(一)
基本情報
所在地 | [1]埼玉県新座市 [2]埼玉県川口市 |
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選定年月日 | [1]取組中 [2]取組中 |
お問い合わせ情報
担当課 | [1]新座市教育委員会 教育総務部 生涯学習スポーツ課 生涯学習・文化財係 [2]川口市教育委員会生涯学習部文化財課文化財保護係 |
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住所 | 〒[1]352-8623 埼玉県新座市野火止1-1-1 [2]332-0012 埼玉県川口市本町1丁目17番1号 |
電話番号 | [1]048-424-9616 [2]048-222-1061 |
アクセス | [1] JR武蔵野線新座駅から徒歩5分 東武東上線志木駅・朝霞台駅からバスで約15分 西武池袋線ひばりヶ丘駅・東久留米駅からバスで約15分 [2] 埼玉高速鉄道「新井宿駅」「戸塚安行駅」より徒歩約20分 バス停「花と緑の振興センター」下車 ・[東武バス]川口駅東口発[川10]新栄団地行 ・[国際興業バス]西川口駅東口発[西川04]鳩ヶ谷庁舎,慈林→東川口駅南口行 ・[国際興業バス]東川口駅南口発[西川04]鳩ヶ谷庁舎,慈林→西川口駅東口行 |